10年日記を続けてみて思うこと。(チェック済)

私の朝の習慣として、10年日記を書くことがある。私の毎朝のルーテインは、①うがい、②大量の水または白湯を飲む、③10年日記を書く、と続く。私は日記を朝、前日のことを思い出しながら書いている。
使っているのは、「石原10年日記」。A4サイズで辞書並みの厚さがある。初めて購入したときは、これから10年書き続けられるのかどうか不安だった。しかし、書くスペースが4行と限られていて、サッと5分もあれば書けるので、特に苦になる事はなかった。
むしろ、書き続けていくことで、10年日記を書き続けることの面白さを感じるようになった。ただし、1年目はその面白さは分からない。2年目もまだ分からないかも。3年目、4年目あたりから気づき始め、5年目、6年目になると日記を開くのが楽しみになってくる。
私はこの面白さに気づき始めた頃、あらためて「10年日記」を続ける価値を発見した。
日記の面白さは書き続けることだけではないのだ。一日を振り返ることにも価値はあると思うが、それだけではない。特に、10年日記は。それ以上の価値がある。
それは何かと言うと、「未来の自分への素敵なプレゼント」。10年日記は、「自分だけの宝箱」のようなものになる。
10年日記はページを開くと、1ページに10年分の同じ日がまとめられている。つまり、12月29日であれば1ページに10年分の12月29日がまとめられている。
そうなると、12月29日の日記を書こうとするときに、10年前の今日は何をしていたのか?8年前は?5年前は?と遡ることができる。そして、そこには家族や仕事のことが書かれている。毎日の日常なので、日記に書いていなければ忘れてしまうようなことの方が多い。
10年後も覚えているようなことは一年に何回あるだろうか?10回もあるだろうか。何かのきっかけがあれば思い出すのだろうが、それがなければ永遠に思い出すことがないようなことが日常生活では続く。
まさに、ありふれた日常である。しかし、実はこのありふれた日常こそが、宝物なのだと気づく。写真で言えば、記念写真や旅行先で撮影したものではなく、何気ない日常を撮ったスナップ写真のようなものだ。
記念写真も良いが、スナップ写真こそ、笑えて楽しい写真だったりする。それと、同じようなことが10年日記を書き続けていると得られる。
そのことに気づいてからは、毎朝書く日記は未来の自分に向けてプレゼントするような感覚で書いている。
私の手元にある10年日記は、2012ー2021年版となっている。そう、あと2日で初めての10年日記を終える。来年からは2冊目となる。そして、10年後には20年分の私だけの宝物が完成する。楽しみ。
これからも毎朝、未来の自分へのプレゼントと思いながら書き続けよう。

