藤川球児投手の引退に思う事。

とうとう藤川球児投手が、昨夜の甲子園でのジャイアンツ戦で22年間の現役生活を終えて引退をすることになった。
藤川投手の最後の投球、それから引退セレモニーでのあいさつを聞いていて、素晴らしい引退だった。引退にはそれまでの現役時代が凝縮して現れる。どのような選手だったのかが、現れる。
私は昨年の春、イチロー選手のプレーを東京ドームで観戦した。引退を控えるイチロー選手のプレーを生で見られたことは幸せだった。あのときも球場にいたすべての人がイチローの一挙手一投足を見つめ、球場全体がイチローへの感謝の想いなど愛に包まれたように感じた。
「引退」とは何だろうか。
スポーツ選手は体力や気力の限界を感じて、どれほど才能にあふれた一流プレイヤーも必ず現役を引退していく。球団から戦力外通告を受けてそれを機に引退を決断する選手もいれば、自ら引退を宣言して辞めていく選手もいる。
「引退」とは、「辞める」ことである。
スポーツ選手は年齢による体力の限界を感じられるので、辞める潮時が分かりやすいとも思う。若い選手も次から次へと現れる世界でもある。そういう選手と比べて自らの力の衰えを感じざるを得なくなる。
スポーツ界は、引退の潮時が分かりやすく感じられる世界である。
ただ、一方で戦力外通告を受けながらも、自分自身はまだまだ現役でやれると思い、プレーを続ける選手もいる。そして、そういう選手の中には新天地で再び活躍を始める選手もいる。
しかし、いづれはそういう選手も引退の潮時がやってくる。再び球団から戦力外を受けるのか、それとも自ら引退を決断するのか。
さて、会社を経営する社長や会社へつとめる社会人にとっては、「引退」とはどういうものだろうか。会社員の場合は、「定年」がある。それは区切りとなるものだ。社長には「定年」はない。だから、自ら引く潮時を決めなければいけない。
また、転職も会社を辞める必要があるので、以前の会社を「引退」する必要がある。それから、独立をするときも会社を辞めなければいけない。
藤川投手のように22年間勤めた会社を自らの意思で引く潮時を決めるとは、どのようなものなのだろうか。
私が思う「引退」は、同時に新しい世界へチャレンジをするものである、ということだ。引退をして何もしなくなるのではない。
引退は同時に挑戦がついてくる。
その新たな挑戦へ向かっていくために、これまでの感謝を伝えて、また愛情も受けて、それを次のエネルギーにしていく。
私もいつかはそのような「引退」をしたいと思う。

