箱根駅伝。

お正月の風物詩として多くの注目を集める箱根駅伝。私は3年前に初めて箱根へ行き、あの急な坂を車で走ったことがあるが、こんな急な曲がりくねった坂を走り抜けていくのかと驚いた。
昨日、一昨日に今年の大会が開催されていたが、私もテレビでチラチラと見ていた。往路の後半は車のラジオで聞いていたのが、最後の10区で聞くのを止めてしまった。
1位と2位に大きな差がついたからだ。優勝は創価大で決まりだろうと思い、聞くのを止めた。まさか、最後の10区で大逆転が起きていたとは。
スポーツに逆転はつきものだ。野球は9回ツーアウトから何が起きるか分からないと言われるし、サッカーもドーハの悲劇のようなことが起きる、ラグビーやアメリカンフットボールにも逆転はある。
そういうなかでは駅伝の逆転は少ない方ではないだろうか。しかも、昨日は大きな差がついていた。それを逆転するのは何かが起きない限りは難しいだろうと。
昨日は、その何かが起きたのだが。
さて、やはりどうしても気になるのは、最後で逆転された創価大の最後に走った選手のことである。ゴールから一日あけてどのように過ごしているのだろうか。また、チームの雰囲気はどうなのだろうか。
意外とあっけらかんとしているのだろうか。初めての優勝は逃したものの準優勝という成績に沸いているのだろうか。
それにしても、神様は酷な展開を用意した。それまでの選手はみんな快走をして、2位に大きな差をつけた。そうしてつないだ最後のタスキ。監督も選手も優勝を考えたはず。10区を走った最後の選手もそうだろう。
それとも、10区の選手は人知れず、大きなプレッシャーや緊張を抱えていたのかもしれない。そういうことは誰にも言えずに、タスキを受け、ひとり走り始めたのかもしれない。
そこからの23㎞、1時間10分に起きることは想像もしていなかっただろう。ランナーも、チームも。2位でタスキを受けた大学も、また箱根駅伝を視聴していた全国の人も。
しかし、現実は過酷だった。
創価大の最終ランナーに1位でゴールのテープを切らせることはなかった。
最終ランナーにはもちろん、創価大の選手や監督には、悔しい経験となったはず。この経験を次に活かすには、今回のことを必要、必然、ベストに捉えることが必要となるのだが、実際に経験をした人にとっては簡単なことではない。
ただ、やはりここでどこまで悔しさを感じているかが、来年につながる。
これまでからすれば2位でも十分じゃないか、といった空気が出ているのであれば、次には活きないだろう。
創価大の選手たちには、選手を攻めるのではなく、お互いに讃えあいながら思いっきり悔しがることが必要な気がする。それから今回の成績に自信とプライドを持つことも。
これだけの経験ができる舞台を用意されたのには、意味があるはずだ。
来年の創価大の走り、そして箱根駅伝が今から楽しみになってきた。
それにしても駅伝は怖い。チーム競技でありながら、個人競技でもある。しかも、ランナーで走るときは、頼れるのは自分だけ。仲間からサポートされることはないし、仲間をサポートをすることもできない。
強力なチーム競技でありながら、究極の個人競技でもある。駅伝は面白くもあり、怖い競技である。
それが駅伝の魅力なのだろう。

