井戸端会議の時間。

井戸端会議とはどういうものを言うのかを調べてみると、ウイキぺディアでは「長屋の女たちが共同井戸に集まり、水くみや洗濯などをしながら世間話や噂話に興じたさま。婦同士などによる世間話のこと」とある。
江戸時代の生活の様子を表しているようだが、私が子供の頃はおじいちゃんの農作業を手伝いに親戚や近所のおばちゃんたちが集まる時がその時間だったと思う。
また、私が育った町は漁師町でもあったので、街を歩くと近所ではおばちゃんたちが集まって魚をさばく姿もよくみた。
そして、決まってそのような時間ではおばちゃんが楽しそうにお互いに話していたことを覚えている。
井戸場会議では、なぜ、あれほどしゃべれるのか?
それはその時の作業が単調なもので、頭を使わずにできる作業をやっているからだろう。例えば、井戸に集まってするのは食器洗いや野菜など食材洗い、農作業では収穫した野菜の手入れ、それから魚をさばくこと。これらはどれも慣れた作業となるにつれて、特に考えなくても作業はできるものだ。
そのために、勢いよく話すことができる。また、その内容は噂話や裏話など、まあどうでも良い話をしている。ところが、やはりそういう話は聞くのも話すのも楽しい。
それが、強いコミュニテイーにする。
さて、会社の中ではどうだろうか。このような井戸端会議のような時間はあるだろうか。例えば、私の場合だと、以前は社内でセミナーDMを発送するための封入作業、テキスト作成に必要なセット作業など、単調な作業だが数が多いためにメンバーが集まってする仕事があった。
そのときの作業は単調なもの。何も考えなくてもできる。そうなると黙ってすることはない。やはり話しながらやる。それも、どちらかというと仕事の話ではなく、噂話や裏話、私生活の話とどうでもよい話をしているように思う。
ところが、その時間は楽しい。
そう、井戸端会議のような時間は楽しい。そして、手元の作業は着々と進むために終わったときは達成感がある。また、これも不思議なのだが、その作業が終了するとそれまで話していた会話も終わる。
井戸端会議は作業開始とともに始まり、終了と同時に終わる。それも、「ハイッ!終わり!」と唐突に終わる。
考えてみると、不思議な時間だ。
このようなことを考えていると寂しく思うのは、最近はこのような井戸端会議で進める作業の時間が減っていると感じること。DM封入は外注をしているし、コロナ感の今はセミナーの講演用テキストを印刷して配ることもない。
他にもネット環境が充実するにつれて、手作業が減っているように思う。
しかし、井戸端会議は楽しくコミュニテイを強める時間でもあることを考えると、意図的に人が集まってする手作業の仕事はした方がいいのかもしれない。
それが、お互いの理解を深めることになり、仲間感を強めるものであれば。一見すると非効率に見える作業だが、チームワーク力を高めていると思えば、その後の仕事で効率化を高める機会になっているかもしれない。
井戸端会議は非効率に見えるが、実は効率化を進めるための時間。
江戸時代の井戸端会議であつまるおばちゃんたちも、事件や事故など何かがあったときの一致団結力を強め、助け合うものになっていたのではないだろうか。

