「待つ」ことの素晴らしさ。(チェック済)

人間はそもそもせっかちで先を急ぎ待てない生き物なのか。それとも、スピード時代の影響で忙しく、生き急いでいるのか。
私もそうだが、待てない人が多い。
酷いのになると人に質問をしておきながら、その人が答えようとした瞬間に自分が話し始める。聞くつもりがないのに質問をしているのか、それとも相手が言うことにまったく興味がないのか。
あるいは、人が話している途中で割り込んでくる人も多い。人の話を聞けない。自分が話すことだけを考えているのだろうか。
また、メンバーや部下に仕事を頼んでおきながら、遅いとか思っているものとはイメージが違うとか言って、すぐに仕事を取り上げてしまう人も多い。
どうして人はこのように待てないのだろうか。「待つ」ことには価値や楽しさは何もないと思っているかのようだ。
しかし、子育てをしたことがあれば体験をしているかと思うが、人は初めて歩くまでにも時間がかかる。つまづいたり、転んだりしながら歩けるようになっていく。
そして、親はそれを待つ。歩けるようになることを楽しみにしながら待つ。そこで、「なぜもっと早く歩けるようにならないんだ!」と言って、歩くことを止めさせたり、子供を怒るようなことはしないし、イライラもしないはずだ。
「待つ」ことを楽しんでいる。
私は数年前に「待つ」ことの素晴らしさを体験したことがある。そのときは強い衝撃を受けて、今でも忘れられない。私が相手の方にひとつの質問を投げかけて、その人が答えるのをじっと待った。その人が考えているのは分かったので、思考を邪魔しない様に私は何も言わず、その人が話し始めるのをじっと待った。
待っている時は長い時間に感じた。それまでの私の人生で人に質問をして答えを待つ時間としては、最長だったのではないかと思う。それほど長く感じられた。
そうして、ようやくその人が話し始めた。それを聞いた時、私は衝撃を受けたのだ。私がまったく想像をしていなかった答えが聞けたからである。私が考えていたことよりも何倍も、何十倍も感動的で素晴らしい話が聞けたからである。
そのとき、「待つ」ことの素晴らしさを体感した。
「待つ」とは、相手を知り、新たな世界と出会えるチャンスなのかもしれないのだ。
それを自分から遮ってしまうとはなんともったいない事かと思う。
それでも、相変わらず私のまわりには待てない人が多い。相手から何が出てくるのかを楽しむ時間として、待つ。これに気づければ楽しい時間が増えると思うのだが。
話を遮る人を見ると、残念な気持ちになる。

