手を抜けるようになるということ。(チェック済)

今年のプロ野球セ・リーグのシーズン優勝はヤクルトに決まった。今年の私はにわかタイガースファン。最後の試合まで優勝を信じて応援をしていたので、残念。ただ、今年はタイガースのおかげでプロ野球を開幕から最後まで楽しめた。コロナ禍で家にいることが多かったのもあったと思うが、これほどシーズンを通してプロ野球を楽しんだのは初めてのような気がする。
さて、プロ野球の場合、シーズン中で140試合のゲームがある。長期戦である。調子が良いときも悪い時もある。その中には、あえての負け試合もあると聞く。あるいは、調子が悪くても勝たなければいけないときもある。たとえ調子が悪くても、どのようにして勝つか。また、同じことがピッチャーのコメントから聞くことがある。「今日は調子が悪いなりにも、上手く投げられました。」 のように。
これほどの長期戦の戦いになれば、常に全力で走りきるというのは難しいのではないだろうか。調子を落としているときに無理をすれば、怪我をするかもしれない。力を抜くときも必要だろう。しかし、そういうときでも勝たなければいけない。抜くべき時には抜いて、力を込めるときには込める。このようなことがプロの世界には必要でないかと思う。
また、抜くべきところが分かるというのは、逆に抜くべきでないところも分かるということである。その両方が分かっていなければ、抜くべきでないところで抜いてしまうようなことになりかねない。あるいは、それが分からないためにいつも全力で力を込めるしかなくなる。
素人目で見ると、プロは常に100%の力を発揮しているように見えるものだ。そのために、それを真似しようとして初めのうちは常に全力を出そうとする。そして、オーバーワークとなったり、怪我をすることもある。しかし、このような経験を繰り返すことで、手を抜いてはいけないところ、抜いても大丈夫なところが分かってくるのではないだろうか。
私の場合で言えば、ご支援先の業績アップのお手伝いをするなかで、集客のための広告をつくることがあるが、そのときは決して力を抜いてはいけないところと、他の人に任せても大丈夫なところは分かっている。集客がとれる広告にするためのポイントが分かっているからだ。木で言えば、幹と葉っぱの違いである。幹となるところは任せられないが、葉っぱのところは任せている。葉っぱであれば多少は思うようなことになっていなくても、その広告の集客にはそれほど影響がないからだ。
しかし、他人から見れば、私の姿勢からは全力でつくり上げていると見えているのかもしれない。

