全員の能力が発揮される組織づくりを目指して。

プロ野球のペナントレースは両リーグとも激しい優勝争いをしている。私はタイガースを応援しているのだが、最近はしびれる試合ばかりが続く。しびれると言えば、先日のサッカーワールドカップ予選のオーストラリア戦もそのような試合だった。
さて、組織論が語られるとき、よくスポーツチームが例えられる。野球で言えばパワーがありホームランを打てる人、バントなど小技が上手い人、高打率バッター、足が速い人、肩が強い人、ベンチを盛り上げるのが上手い人など、それぞれの能力を活かしたチーム編成をしている。サッカーでもそうだ。足が速くてドリブルが上手い人、蹴る力が強くてシュート力がある人、背が高くヘデイング力がある人、相手の動きを読む能力に優れ守備力がある人など、やはり選手個々の能力を活かしてチームをつくっている。
このようにして強いチームが作られる。目指すべき能力主義のカタチがここにある。
それを目指す会社組織もあるだろうが、同じような能力主義となっているだろうか。どうも違うようだ。会社で言われる能力主義は会社が求める個人としての能力が高い人が評価され、成果主義となっている。組織の能力を高めるためというよりも、必要な能力を持つ個人を伸ばすだけのものとなっている。
それを能力主義と言いながら、まったく違うはずなのに、強いスポーツチームのような能力主義を目指そうとしている。そして、強いチームになるには、スポーツチームのように強い個がいなければいけないと言う。根本が間違えている。
何が違うかと言えば、スポーツチームはチーム全体の能力を高めることを第一にしている。そのためには犠牲の精神も求める。野球で言えば送りバントのようなものだ。また、選手も個人の成績よりもチームの勝利が一番です、と言う。会社のなかでこのような犠牲の精神で働いていて、評価されるだろうか。また、自分の給料よりも所属するチーム全体の成績が大事ですという社員がいるだろうか。
根本的に違うのだ。
スポーツチームのような組織を作ろうと思えば、組織そのものを変えなけれないけない。今の日本の会社では人に仕事がつくのがほとんど。その仕事が合わなければ仕事を変えるか、会社を辞める。一方で、アメリカなどは仕事に人がつくと聞く。その仕事を進めるために必要な知識や経験、スキルが明らかになっていて、それを持つ人材を当てる。求める役割とそこで成果をあげるための能力がマッチングされる。それによって働く人の長所がより発揮されるようになる。苦手なはこともしなくて良くなる。
野球やサッカーはポジションごとに求められる選手の能力が違う。だから、選手の長所が発揮される。一方で、日本の会社組織はそのようになっていない。優秀な人材を採用しようとする前に、将来の組織像を描き、どのような人材が必要となってくるのか?ここをトップや会社が描けない限り、いつまもで変わらないだろう。

