グローバリズムとオンライン。

もう記憶が薄れがちではあるが、コロナ禍になる前は、グローバリズム一辺倒の社会だった。「海外に目を向けないと・・・。」とか「グローバル化はもはや避けられない。」など、大企業の経営者はじめ各分野の識者の多くが語っていた。
確かに、そうだった。チャンスは外にある。内向き志向では生き残れない。そのなかで企業も人も格差が起きる。日本人の多くはもっと危機感を持たなければいけないといった声が多かった。
日本は明治維新で海外へ目を向け始めてから、外へと向かう意識や思考は拡がるばかりだった。それが、コロナが起きたことで初めて海外へ思うように出かけられなくなった。外から入ってくる人も減ったのだから、まるで鎖国状態である。
さて、今は世界中でワクチン接種が進み、コロナを抑え込むことに躍起になっている。ただ、国内の感染者数は今のところ過去最高の人数を続け、おさまる気配がない。しかし、いずれは人類が克服するときがやってくるはずだ。
そのとき、以前と同じようにグローバル化へ向けた動きがまた起きるだろうか。人の移動が以前のように戻るだろうか。
私個人的なことを思うと、コロナ禍で今の自分の居場所が随分と快適になった。コロナ前と後では書斎で過ごす快適さが大きく変わった。それから知人のなかには、自分が住む街や生まれた街、あるいは好きな街で仕事をする人が増えている。グローバリズムに対して、ローカリズムの動きである。
コロナ禍で自分がいる場所を快適にしようという意識や行動が高まっている。コロナの前もそのような動きはあったが、グローバリズムが幅をきかせるなかで、端っこで小さく動いている印象だった。
グローバリズム化一辺倒だった流れが、コロナ禍で止まった。それから1年半が経った。コロナがおさまるまでは、まだ半年はかかるだろう。そうすると、今の鎖国状態が2年続いたことになる。2年もあれば、人の習慣や意識も変わる。これが、元のように戻るだろうか。
書きながら思うのは、やはり海外には行きたいという気持ちがわいてくること。しかし、それはグローバリズムのなかで世界を知らなければいけないというのではなく、シンプルに海外を楽しみたいというもの。
コロナでオンラインによるコミュニケーションは当たり前になった。国内はもちろん、海外ともつながれる。実は、コロナ禍で世界との距離は縮まったとも言える。オンラインがひろがることでグローバリズムが進んだ所もあるだろう。
コロナ禍で一見するとグローバル化は後退したように見えるが、そうとは限らないのかもしれない。
コロナがあけてからは、オンライン化が進んだ世界でのグローバリズム、そしてローカリズムも見えてくるだろう。それは、これまでとは違ったものになる。デジタル空間では世界も、日本国内も同じ空間とも言える。
さて、これから人はどのように動いて、物事を考えるようになるのだろうか。

